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『箱庭の巡礼者たち』恒川光太郎|圧倒的異世界ぶん回され感

新たなる恒川代表作になりうる

 

多元世界ファンタジーというThe恒川設定が堪能できる

作品紹介

恒川光太郎による『箱庭の巡礼者たち』は2022年にKADOKAWAより出版された作品である。『怪と幽』に連載されていた6編の短編を書き下ろした断片の物語で繋ぐという特殊な構成で、単行本で350ページ程度の連作短編集となっている。

『箱庭の巡礼者たち』は著者が得意とするゆるい繋がりのある連作短編集なのだが、かなり凝った構成になっていて、それぞれの物語は独立していて繋がりもそこまで強くないものの、1話目の「箱の中の王国」を発端として紡がれる断片の物語がとても良い仕事をしており、最終話の「円環の夜叉」を読んで最後の断片を読み終えると、恒川作品史上最大のカタルシスを得られる仕様になっている。したがって長編に匹敵する読後感と短編集であるがゆえの複数の異世界を巡る感覚を同時に得ることができるので、最高傑作候補の一つに挙げても良い傑作だと思う。

なお本作は初期のホラーファンタジー寄りの作品ではなく、『スタープレイヤーシリーズ』や『滅びの園』のようにSFファンタジー作品なので、その点で多少評価が分かれるのかもしれないが、恒川作品にファンタジーとSFを求めるような方であればとても満足度が高くなるだろう。

読み終わった後は圧倒的な放心状態に陥り、寝ることもできなくなったのだが、一日経って頭を冷やしたので本作について書いていきたい。

 

 以下、あらすじの引用

神々の落としものが、ぼくらの世界を変えていく。ある夜、少年は優しい吸血鬼を連れ、竜が棲む王国を出た。祖母の遺志を継ぎ、この世界と繋がる無数の別世界を冒険するために。時空を超えて旅する彼らが出会った不思議な道具「時を跳ぶ時計」、「自我をもつ有機ロボット」、そして「不死の妙薬」。人智を超えた異能(ギフト)がもたらすのは夢のような幸福か、それとも忘れられない痛みか。六つの世界の物語が一つに繋がる一大幻想奇譚。

 

 

まずは全貌から

好きなんですよ、恒川光太郎

新刊が出ると即購入する作家は何人もいるのだが、中でも恒川光太郎五本の指に入る新刊が待ち遠しい作家である。

恒川作品はどれも高水準なので、基本的には読みごたえのある長編求めてしまっており、ほぼ同タイミングで発表された『化物園』に引き続き本作が短編と知った時はテンションがだだ下がりだったのが、読み終えてみれば納得。『箱庭の巡礼者たち』は紛れもなく恒川 of 恒川な最高傑作候補である。

それは本作が短編の良さと長編の良さをうまいこと両立させることに成功した稀有な作品だからである。著者が描く長編はいずれも神傑作なのだが、作品全体で見れば圧倒的に短編が多いので、どちらかと言えば短編が得意な作家に分類されると思う。そんな短編の神が短編と短編の間に断片の物語を入れることで構築した一繋がりの多元世界は、ありったけの異世界を体感させられまくった後に、時間も空間も無視した圧倒的なカタルシス(ぷはー....(涙)という感覚だと私は認識している笑)をもたらすのである。つまりヤバいのである。

連載されていた短編を単行本化されるにあたり、こうも巧く再構築してしまう著者の力量には脱帽である。私は連載は読まない派なのだが、『怪と幽』に連載された当時の原作を読んでみたくなった。こんな思いを持ったのは初めてである。

 

箱の中の王国

1話目にして恒川ファンなら絶対に好きになるであろう異様な設定の日常&ファンタジーである。舞台は現代(だと思われる)日本。謎の箱の中を見ると、限られた人だけが箱の中の世界を見ることができて、箱の中の世界は普通に人間がいて生活を送っているという、考えただけでも面白い覗きアイテムになっている。

もちろん覗いているだけではないのが恒川作品であり、途中から物語は一気にあらぬ方向に進んでいくのだから、一話目から恒川ワールドに完全に引きずり込まれてしまうのは不可避である。この話が発端となって断片の物語は始まる。

 

物語の断片1 吸血鬼の旅立ち

最初の断片は完全に一話目の延長線上にある。ショートショートくらいの長さしかない物語だが、これが良い仕事をしているのです。内容はそのまんまで吸血鬼ととある人物の旅が始まるものである。

 

スズとギンタの銀時計

2話目もこれぞ恒川作品な内容になっていて、物語の舞台は大正~昭和時代の日本である。不幸な生い立ちの姉弟が家出して、ひょんなことから時間跳躍できる謎の銀時計を入手するが、銀時計を使って時間跳躍をすると謎の怪異が追ってくるという、わずかにホラー要素を秘めた作品なので、初期作品の作風が好きな方には本作が一番響くかもしれない。

追ってくる怪異はよく分からないのだが、「夜市」で感じた『千と千尋の神隠し』的ジブリ感全開な感じで不気味なのがとても良い。

 

物語の断片2 静物平原

めっちゃSFでめっちゃファンタジーな2発目の断片。

今回もとても繋ぎの短い物語ではあるものの、普通に短編として優れていると思う。似たような設定が編集者としても有名なSF作家である伴名練の傑作「ひかりより速く、ゆるやかに」を彷彿とさせるが、二つの国が戦闘開始すると同時に時が止まってずっとそのままという、ファンタジー感がたまらない。2話目とゆるい繋がりを持っている。

 

短時間接着剤

3話目にして最も恒川らしくない作品で舞台は現代(と思われる)日本。

2話目とゆるく繋がる冒頭から一変、まさかのノワール風の物語に話が移り変わっていく。極めてらしくない作品だが、短時間だけ超強力な粘着力を発揮するという特殊な設定を除けば、普通の犯罪小説である。何となく名前が同じ伊坂幸太郎に近いものを感じたかも。

求めている内容ではないものの、断片も含めれば11話もある話の中にこんな話があるということ自体が異世界ぶん回しトラップの一端を担っているのかもしれない。

 

物語の断片3 海田才一郎の朝

ショートショートくらいの長さしかない本当に繋ぎの話に過ぎないが、1話目とリンクしており、『箱庭の巡礼者たち』の中でも某キャラの一族、吸血鬼と並んで重要なキャラであるAIシグマが登場する。ロックマンXのシグマではありません。

 

洞察者

叙述トリックでおなじみの折原一っぽいタイトルのこれまたあまり恒川作品らしくない作品で、舞台はまたもや現代(と思われる)日本。

凄まじい記憶力を持つギフテッドと言われる少年が主人公の物語で、少年の能力は人を見ただけでその人のことがいろいろと分かってしまうという予知能力までに強化されていく。たま~に著者がやってくる女が怖い系の話でもあるのだが、最後はとてもいい感じの結末なのがちょっとほっこりする。例のシグマが活躍する。

 

物語の断片4 ファンレター

とても短い作品で、断片3と同じくほぼ伏線の話だが、これまでの大半の物語と連動していて、いよいよSFファンタジー全開になっていくこの後の2作品の前座として、しっかり機能している。

しかしあれです....洞察者と言いファンレターと言い、恒川大先生は折原一が好きなのだろうか。(知っている人にしか分からないネタで失礼しました笑)

 

ナチュラロイド

一気にSFファンタジー全開の世界観に物語がワープして、もはや舞台がどこなのかも時代がいつなのかもさっぱり分からないときている。

重要なのはSFでファンタジーでミステリー要素もある作風ということではなく、「ドラえもん」オマージュ作品ということだろう。初の恒川×ドラえもんというコラボが実現したのは凄いことなのかもしれない。

諸にファンタジーの世界でありながら、アンドロイドが実質支配しているような異世界もので、それなりにつらい物語なのだが、ラストの衝撃的(笑劇的)タケコプター展開は誰が想像できただろう....(笑)

真面目なようでいて、著者はラストシーンが書きたかっただけなのかもしれないと思うと、かなり笑えて来る。

 

円環の夜叉

断片を挟まずに最後の物語。こちらも「ナチュラロイド」に続き、舞台も時代もさっぱり不明な完全異世界ものである。

基本的には「生まれ変わったら不老不死でした」的な物語なのだが、終盤になって様々な秘密が明らかになってくると、一転して物語はSFの様相を呈してくる。最終盤なんて『三体Ⅲ 死神永世』級の凄まじいスケールの話になってくることや、謎の女性クインフレアの正体と目的は何なのかというミステリー要素が読む手を止めさせてくれなくなる。これが短編ということに驚愕するほど様々な要素が凝縮されまくっている。

創造主・恒川光太郎に一生ついていきたい思いがますます強まる世界観で、なんならこの世界観で長編を書いていただきたいくらいである。

 

物語の断片5 最果てから未知へ

何となく分かってたけどさ....これは反則だぜ!!

この物語を読み終えて1話目から話を振り返ってみると、放心してしまうこと間違いなしであろう。時間も空間もまったく無視。もうタイトル通り恒川ワールドを旅し続けた挙句、最果てにたどり着いたと思ったら、そこから未知が始まっていくという感じで、「1話目のヒロイン絵影さんからいったいどれだけの歳月が経っているんだよ」とか「あー...ことの発端は箱の中の王国だったけなぁ...」など途方もない旅をしてきた叶由奈読後感が待っている。

果たしてこれはすべて恒川大先生による計算だったのだろうか。中盤に普通っぽい物語を挟んだりしたことが、この圧倒的な読後感を生んでいるとするのなら、もはや著者は神である。

 

飛躍し続ける創造主

恒川大先生は作家生活が長くなってもあまり作風にブレがないように思うが、それでもやはりわずかに作風は変わってきていて、私としては恒川作品は失ったものより得たものの方が多いと感じていて、なんだかんだ言っても進化し続けていると思っている。

そうであるがゆえに、『箱庭の巡礼者たち』が長編を超えるほどの作品であるとは言っても、次は長編を....という気持ちが強くなってしまう。まぁ贅沢な願いというものだろうか。まだ著者は作家界では若い部類だと思うので、これからも異世界を想像しまくっていただきたいものである。

 

 

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