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『超新星紀元』劉慈欣|奇想の超新星爆発

秩序の崩壊に伴い爆発する著者の奇想

 

有害オーロラ降臨

作品紹介

劉慈欣による『超新星紀元』は2023年に早川書房より出版された著者のデビュー作で、単行本で470ページ程度の長編である。本国では2003年に単行本化されている。

太陽系から8光年の距離にある恒星が超新星爆発を起こしたことで、未知の宇宙線が地球に飛来し、人体の染色体が破壊されることで、修復能力を持つ12歳以下の子供たち以外は1年以内に皆確実に死亡するため、大人たちが絶滅するまでの過程と、子供だけになった世界を描かれる。

デビュー作には作家のすべてが現れるという伝説の通り、劉慈欣作品が持つ魅力の片鱗は余すところなく詰め込まれているが、本作はハード的な要素よりも、大人が死に絶えていく過程のせつなさと、その後に待ち受ける圧倒的な奇想が目立つ作品と成っている。少々粗削りというか、後の作品群に比べると自由に特攻しているため、物足りない感があることは否めないが、劉慈欣ファンであれば絶対に読むべきクオリティは備えている。
そんな本作を最終局面の超奇想といった肝心な部分を除いて、ネタバレを気にせず紹介していく。

 

 以下、あらすじの引用

1999年末、超新星爆発によって発生した放射線バーストが地球に降り注ぎ、人類に壊滅的な被害をもたらす。一年後に十三歳以上の大人すべてが死にいたることが判明したのだ。"超新星紀元"の地球は子どもたちに託された……! 『三体』劉慈欣の長篇デビュー作

 

 

 

最初からエンタメ作家だった

この記事を読まれる方はほぼ間違いなく『三体』シリーズを読了済みだと考えられるので、同意していただだけるだろうが、劉慈欣作品はハードSFとして優れていることよりもむしろ、物語の面白さこそが最大の強みといっても過言ではないだろう。

長編でも短編でもストーリー展開がやたら面白く、奇想や超展開が頻繁に見られるので、とにかく先が気になって読み耽ってしまうのである。本作もその例に漏れず、とにかく先が気になりまくって、そこそこのボリュームがあるにも関わらず、早く読み終えてしまうだろう。本作では続きが気になりまくって、重要ではない部分を読み飛ばしてしまったりすることもあるだろう。デビュー作ながらエンタメ要素全開の作品である。

 

超新星爆発から大人絶滅まで

本作は全10章構成(プロローグとエピローグ有り)である。1~4章が大人が絶滅するまでの物語だが、はっきり言って子供だけになった世界を描く後半よりも、大人絶滅までを描く前半部分の方がぶっちぎりで面白い(と私は思う)。

ストーリー展開はシンプルで、超新星爆発発生!→ヤバいことになるかも→げっ....マジでヤバい奴だった(´;ω;`)→優秀な子供たちを選別するぜ!→選ばれし子供たちの修行→いよいよタイムリミット→新世界へ....である。

思えば『三体』の記事でも書いているが、劉慈欣作品は何となくドラゴンボールが頭に浮かぶことがある(笑)。『三体』では三体艦隊が数百年後に攻めてくるというところが、もろにサイヤ人の襲来を彷彿とさせるが、『超新星紀元』においても、1年後に大人たちが絶滅するため、選ばれし子供たちを学習(修行)させる過程は、ピッコロさんが孫悟飯をスパルタ教育するシーンやセルゲームを控えて精神と時の部屋で修業するシーンを想起させる。

ヤバいことが発覚してから子供たちの修行の過程はかなり面白く、人間ドラマとして普通に完成度が高いと思うが、特筆すべきは大人たちの死が迫ってからである。大人たちは時が来ると別れも告げずに「終の地」に旅立って行くのだが、その時のせつなさと言ったら...。SF作家や推理作家はヒューマンドラマ要素がクソ以下であることが常だが、本作ではとにかくこのシーンの描写がうまいのである。ここからが本番ではあるが、ある意味ここまでがハイライトであり、この後は色々な意味で崩壊が始まっていく。

 

超新星紀元開始

子供だけの世界が始まるまでが最大の読みどころだと前述したが、大人が絶滅してから問題が勃発しまくる最初の数時間と、最大の難所を乗り切って安定していくかと思いきや少しずつ崩壊していく中盤シーンもかなり面白い。

あたりまえだが、大人がいない状態は小さい子供にとって致命的である。そのため速攻でヤバすぎる状況が発生しまくり、これはもう無理ゲーだろとしか言いようのない状況が、臨場感あふれる筆致で描いていく。しかしその状況はどう考えても何よりも優先して頼るだろ...とツッコミを入れたくなるあるものによって打開される。

読んでいて普通に面白いのだが、ここらへんのシーンは、子供しかいなくなった世界では通常ルートの藩中にとどまっているように思われ、奇想をぶっ放しまくる劉慈欣以外の作家でも同じような展開を書くのではないだろうか。劉慈欣の真価が発揮されるのは次章移行の破滅ルートに入ってからである(それが楽しいかは別として)。

 

一気に崩壊

大人がいなくなった世界で子供はどのように生活していくのだろうか。このあたりは人によって考え方は異なってくるだろうが、劉慈欣は娯楽を追求すると考えた。大人がいない世界で子供たちは相当にブラックな感じで働くのだが、そんなものは長持ちせずに、面白い世界を求めて暴走していくのである。言葉の使い方は違うかもしれないが、悪ガキたちが求めるものは、パンとサーカスであり、古代ローマで行われた愚民政策を自ら行っていくこととなる。

さすがにそこまで酷いことにはならないんじゃないか、と思いつつ劉慈欣は極限までヤバい方向に悪ガキたちを突き進ませていく。戦争をオリンピックの如く競技として行っていくのである。この戦争から著者自身の暴走も始まっていき、やたらめったら詳細に戦争描写を書いていくのである。劉慈欣らしさが発揮されまくった戦争シーンではあるが、賛否両論のように思われるし、私個人もまぁ戦争を書くのは良いがここまで注力して書くべきだったかというと、もう少しテンポよくあっさりした描写でも良かったんじゃないかと思う。

 

まさにこんな感じかもしれん(笑)

 

マジで意味わからん

戦争の時点で相当ぶっ飛んだ感じになっているが、劉慈欣が謎の超理論をぶちまくのは最後の最後である。どう考えても意味不明な壮大なトンデモゲーム(?)を中国とアメリカでおっ始めるのだ。「えッ.... (笑) それをやって何でそうなると考えたの???」という誰もが感じるであろうクエスチョンは放っておくとして、これが劉慈欣なのだ。

どんな意味不明ゲームを始めたのかはぜひ実際に読んで確かめてほしい。ありえないことだが、このような訳の分からない奇想こそが、今後伝説的な傑作を連発していく著者の魅力なのである。

 

正直なところ

劉慈欣の他の作品よりも数ランクは劣る作品だと思う。人気作品から順番に翻訳されていくであろうことを考ると、デビュー作にも関わらずほぼ代表作が出揃った後に翻訳された本作は早川書房の編集者も正直微妙と考えたのかもしれない。

ただし、劉慈欣基準で評して他の作品より劣っているだけであり、読みどころは数多くあるうえに、劉慈欣ならではの奇想はある意味本作が一番ぶっ飛んでいるので、著者のルーツを知りたい方や、SF好きな方はまず読んで損はないだろう。

 

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