本当の伝説はここから始まった
作品説明
島田荘司御大による『暗闇坂の人喰いの木』は講談社から1990年に出版された作品である。文庫版のページ数は解説込みで680ページとかなりのボリュームである。
御手洗シリーズの6作目であり、ヒロイン松崎レオナの初登場作品となる。『異邦の騎士』までの作品とは作風が異なり、本格推理小説から本格ミステリーになったといったところだろうか。謎はますます常軌を逸したものとなり、スケールのでかい物語が繰り広げられる。
推理作家としての島田荘司が好きか、ストーリーテラーとしての島田荘司が好きかで、はっきりと賛否が分かれそうだが、暗闇坂にハマるようであれば完全に島田信者になることは間違いないだろう。
なお本作はかなりグロテスクであり、ホラー要素も極めて強くなっている。ホラーや怪奇幻想が好みの人であれば過去のシリーズを読んでいなくても楽しめる。
以下、あらすじの引用。
さらし首の名所・暗闇坂にそそり立つ樹齢2000年の大楠。この巨木が次々に人間を呑み込んだ? 近寄る人間たちを狂気に駆り立てる大楠の謎とは何か? 信じられぬ怪事件の数々に名探偵・御手洗潔が挑戦する。だが真相に迫る御手洗も恐怖にふるえるほど、事件は凄惨を極めた。本格ミステリーの騎手が全力投球する傑作。
オカルト、グロホラーの到達点
「探し求めていた本にやっと出会えた....」読了後の率直な感想である。
ホラーやオカルト要素の強いミステリー小説がなによりも好みな私にとっては、まさに好きなものだけを詰め込んだ夢のような作品だった。あまりにも面白く、そしてありえない謎の真相が気になり過ぎて本気の徹夜小説の1冊として殿堂入りした。
本作はタイトルの通り、犯人と思われるのは樹齢2000年の人喰いの大樹である。
尋常ではない謎を秘めた事件で超自然的な要素がトリックに関わっているため、御手洗潔シリーズを順番通りに読み進めてきた本格推理小説マニアの中には肩透かしを食らう人がいるかもしれない。
しかし『異邦の騎士』で見られたように、本作もミステリー云々ではなく、ジャンルを超えた島田小説としての魅力があるため、ホラーオタクやオカルトマニアであれば問答無用に楽しめるのは言うまでもなく、ミステリー好きなら誰でものめり込める力作に仕上がっているのは間違いない。
ホラー小説の求道者であれば必ず手に取っていただきたい1冊である。
いきなり狂気のサイコホラー
プロローグはどういうわけなのか、スコットランドののほほ〜んとした描写から始まり丁寧語で書かれる文章にほっこりしていたら.....クララが死んだ!!
しかも並の殺され方ではなく、内蔵を取り出されバラバラにされて目玉をほじくられ弄ばれるという変態サイコ全開なのである。散々弄ばれた後は家のセメントに塗り込まれて証拠隠滅されたが、後日調査された時にはセメントの中には死体は見つからず....。
「あれっ...読む本間違えたかな」と思ってしまうくらいのとんでもないプロローグに意表を突かれたが、本作の謎の面白さと猟奇性は約束されたなと確信したのである。
くどいようだが、サイコホラーや猟奇的事件を扱ったミステリーが好きな方であれば、冒頭からいきなり血沸き肉躍ること間違いなしだ。
鋭い女の分析と解説にニヤリ
『暗闇坂の人喰いの木』に限らず、島田作品では女性こき下ろしてるんじゃないかと思うくらい鋭い女性論が展開される。女性の恨みを買いそうなのになぜか恨みを買っていないその女性論が失笑を誘う面白さなのだが、本作では島田御大十八番の女性論がかなり強烈に披露される。しかもほぼ本編とは無関係に。
『暗闇坂の人喰いの木』では作家・石岡君のファンを名乗る女と石岡君がお茶をして、その際のやり取りを御手洗に話すことで、御手洗がその女性の現状や石岡君への想いを論理的に解説するのだがこれがまた異常に面白い。
アラサー過ぎて結婚に焦った女の心境を、あたかも著者ご自身が経験したかのようなリアリティを持って描かれている。アラサー未婚の女性には相当ひどい内容なのだが、おそらくそういった方が読むと図星過ぎて笑えるのではないだろうか。
もはや事件のことなどどうでもいいとなるくらい笑える御手洗&石岡君の日常会話をずっと楽しんでいたいと思ってしまうことだろう。御手洗シリーズは長く続いていくが、以降のシリーズでは二人が出ない作品も多く、会話の面白さも控えめになっていくので、二人の日常会話は本作が一番面白いのではないかと思う。
↓ハードカバー版の著者近影を見て思うのは、やはり若かりし頃の(と言っても当時アラフォーだが)島田御大はいけてますなぁ。女性の描写が異様に巧いのは経験豊富ゆえなのではなかろうか。
怪異としか言いようのない事件
作中でも『占星術殺人事件』を超える恐ろしい事件と称されているが、まったく持ってその通りの常軌を逸した事件である。本作の殺人事件と想定される事件は下記の通りだ。
- 壁の中のクララ(上記スコットランドの話)
- 昭和十六年、木にぶら下がっていた少女の惨殺死体。
- 嵐の夜に屋根の上で心不全で死んでいた男と同日頭を強打されて重体になった女。
- 大楠の中から見つかった、頭だけ白骨化してその下はミイラ化した4体の少女の遺体。
- 嵐の夜に気に食べられる様な姿で死んでいた男と先の事件で重体になっていた女が再び同日頭を強打され死亡。
スコットランドの猟奇殺人やら昭和初期の猟奇殺人やら怪談とも言える話、さらには現代の異常な事件と、一見関連が無いような情報がばら撒かれることにより、事件の全貌は撹乱され読者は混乱させられる。
『暗闇坂の人喰いの木』を読む以前に、京極夏彦氏の『百鬼夜行シリーズ』を何冊か読んでいたのだが、事件の不気味さや不可解さはそれを上回っていると感じたし、なにより『暗闇坂〜』の方が『姑獲鳥の夏』より早く出ているという事実に、島田御大の偉大さをあらためて実感させられた。
本作の事件は、ひっかけとも言える余計な要素をキレイさっぱり省けば純粋な本格推理小説になっていたと思うが、あえて超自然的な謎を入れたことで賛否両論にはなったが、作品にカルト的な魅力を付与するのに成功している。また作中に延々と語られる処刑・拷問の薀蓄や処刑場だった暗闇坂のロケーションが恐ろしい雰囲気に拍車をかける。
ネタバレになるので詳細の記載はしないが、終盤に近い章の『怪奇美術館』のおぞましさはいかなるホラー小説の恐怖描写を凌駕している。本当におぞましいとしか言いようがない阿鼻叫喚の地獄絵図が待っている。
何度でも繰り返すが、ホラー好きで本書を未読の方は今すぐに読むべきである。高品質ホラーを楽しめるだけでなく、本格推理小説の妙技も楽しめて新たな世界が開けてくるかもしれない。
旅行小説としても楽しめるスコットランド紀行
『占星術殺人事件』では京都紀行があったが、本作ではイギリスはスコットランドへの弾丸ツアーが描かれる。
私はブリティッシュロックの影響で昔からイギリスが大好きで、スコットランドではないもののロンドンを中心にマンチェスター、リバプール、リーズと長期旅行に行ったことがある。その旅行の思い出も相まって、石岡君の語りに深く共感を覚えてしまった。バスで長距離移動を何度もしたため、イギリスの田舎風景をコレでもかと言うほど満喫したのだが、石岡君の説明の通り日本ではありえない光景であった。
ヨーロッパの他の国にも行ったことがあるのだが、長距離移動する際の風景がどのタイミングを切り取っても絵になるのが素晴らしかった。またイギリスでは雨が多いのでイギリス人は雨に濡れることをあまり気にしない...日本人で雨に濡れるのを気にしないのは狂人御手洗だけだったというシーンも現地で体験した時の記憶とピッタリで唸らせられた。
↓無関係だがブリティッシュロックの名盤『怪奇骨董音楽箱』。本作では『怪奇美術館』というのが登場するので気になったら聞いてみてほしい。
炸裂する島荘流大トリック
『斜め屋敷の犯罪』ほどトリックはブッ飛んでいないものの、本格推理小説でしかまかり通らない様な十分に気合いの入ったアクロバティックな大技となっている。
デビュー時の『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』と比べると、大樹の魔力による超自然現象が働いているため本格推理マニアからしたらアンフェアであると非難されそうではあるが、本格推理小説はもともと半分ファンタジー世界の話なので、『暗闇坂の人喰いの木』はこてこての推理小説だとは思わずに、本格推理:怪奇幻想を5:5くらいに考えて、純粋に物語を楽しむのが吉であろう。
推理小説をあまり推理せずにただの物語として楽しむタイプの方であれば、アンフェアな部分は気にならず素直に「やりやがった!」となること請け合いだ。
しかし本書をリアルタイムで読んでいた本格推理小説マニアは、事件の真相を知ってどう思ったのだろうか。より信者度が上がる方もいれば、当時全盛期であった新本格ムーブメントの作家に乗り換えた方もいたものと思われる。
御手洗のイケメンプレイがさりげなく発揮
事件の全貌を暴いた御手洗が、事件の関係者レオナのために取った行動がイケメン過ぎて泣けてくるのである。過去作品でも『占星術殺人事件』や『数字錠』、『異邦の騎士』でイケメンな動きをしてきた御手洗だが、『暗闇坂の人喰いの木』ではレオナというヒロインを守るためという、これぞ騎士な行動取るのだからたまらない。
アフターフォローも完璧で、事件から時間が経過した時のレオナをフォローするために気を使いまくりながら語った○○に関する薀蓄にもユーモアが溢れ、御手洗のキャラに新たな魅力を追加しており、本シリーズに女性ファンが多いと言うのも大いに頷ける。
本作を読んで確かめてほしいのだが、”ゴリラとチンパンジー”のくだりは面白過ぎる。私は思わず吹いてしまった。
シリーズはさらなる高みへ
ある意味人生を変えるような作品だったため、愛ゆえの長文記事になったが、『暗闇坂人喰いの木』は後世に名を残すべき傑作である。
講談社文庫の帯で御手洗シリーズ三大傑作には『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』『異邦の騎士』とされており、確かにこの三作品は素晴らしいと思う。
しかし島田荘司らしさが全開に発揮されているという意味では、私は『暗闇坂の人喰いの木』と続いてレオナが登場する『水晶のピラミッド』『アトポス』を三大傑作に推したい。大ベストセラー作家である伊坂幸太郎氏も上記三作を五本の指に入る傑作と称されているため、信憑性は高いと思っていただいて間違いない。
『暗闇坂の人喰いの木』を読んだ直後のメモには、「今後私の1番好きな作家は島田荘司とすることに決めた。」と書かれていた。本作を読んでからずいぶん多くの本を読んだし、他の作家も開拓していったのだが、その想いは変わっていない。
一人でも多くの方にゴッドオブミステリーこと島田荘司の魅力をお伝えしていきたいと思う。
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