どこまで溜めればいいのか。
作品説明
小野不由美女史による『屍鬼』は新潮社から1998年に出版された作品である。文庫版は5分冊でページ数にして2500ページを超える大長編となっている。
ド田舎というクローズドサークルで村人が次々と原因不明の衰弱死を遂げていく謎を、医者とお坊さんが中心になって調査するミステリーである。もちろんタイトルが示している通り原因は分かりきっているのだが。
ラストに向けて実にまったり話が進んでいくため、普段読書慣れしていない人には苦行になりうるが、魅力的なキャラが多いため、一つの作品をじっくり読みたい人にはこれ以上ないほどの作品である。
単行本の上巻(文庫版の一、二巻)はミステリー色が強めで、下巻(文庫版の三、四、五巻)はホラー、ファンタジーが濃厚になってくる。
『ゴーストハント』『十二国記』など傑作揃いの小野作品だが、『屍鬼』は間違いなく最高傑作候補の作品である。
以下、あらすじの引用。
死が村を蹂躙し幾重にも悲劇をもたらすだろう―人口千三百余、三方を山に囲まれ樅を育てて生きてきた外場村。猛暑に見舞われたある夏、村人たちが謎の死をとげていく。増え続ける死者は、未知の疫病によるものなのか、それとも、ある一家が越してきたからなのか。
尋常でないなにかが起こっている。忍び寄る死者の群。息を潜め、闇を窺う村人たち。恐怖と疑心が頂点に達した時、血と炎に染められた凄惨な夜の幕が開く…。
眠れぬ夜の睡眠薬(一巻)
「とても....眠いの......」
物語の前半でとある主要人物のセリフにこんな感じのがあるのだが、多くの読者は大いにこの言葉に共感することとなるだろう。
文庫版の1巻は「これから面白くなるな」という予感をぷんぷん放っており、また田舎の閉塞感がとても上手く表現されていてこれはこれで素晴らしいのだが、約600ページに渡りとにかく話が進まない。
しかも尋常ではない数の登場人物が次から次へと現れるため、読書慣れしてない人だと「この人誰だっけ?」とページを行ったり来たりしているうちに、いつの間にか夢の国に足を踏み入れることになるだろう。最強の睡眠本なのだ。
ただ物語の進行が遅くて退屈=つまらないではなく、地味に面白い状態がずっと続き、しかもじわじわ楽しさが上昇していくのだから安心して読み進めよう。
悪夢に終わりはない(二巻)
安心して読み進めようと上記したばかりだが、『屍鬼』はそんなに生易しい作品ではない。恐ろしいことに文庫版の二巻に入っても物語の進捗はまったりしていて、ただひたすら村人が弱って死んでいく.....病気→死亡→葬式→病気→死亡→葬式→病気→死亡→葬式.....という暗く悲しいシーンがひたすらループするのだ。鬱気質の人が読んだら本当に死にたくなる可能性があるため読むのを控えたほうが得策かもしれない。
極めつけに正体不明の病気の謎を解明するというミステリーが展開されてテンションが上がってくる!....のかと思いきやそもそもミステリーとは"謎"を意味するのに、病気の原因はタイトルで盛大にネタバレされているという鬼畜仕様。
倒叙形式のミステリーであれば何の問題もないのだが、『屍鬼』は読者が答えを知っているのに作中の人物ががんばって推理するのを見守ることになるのだ。
しかし終わりのない悪夢はない....のかどうかは分からない。
いよいよ屍鬼と人間が対決(三巻、四巻)
「いいえ、しません。」
始まるのは対決ではなく、またもや無限に続くもやもやグダグダシーンだ。
病気の原因が屍鬼だと判明してから突入する三巻では、いよいよ屍鬼との戦いが始まるのかと思いきや、焦らしの小野不由美。そんな展開は許してくださらない。
普通に考えたらガンガン物語は一気に加速して全面戦争となりそうだが、著者の本領発揮というか、村人たちの「たしかにおかしいけど.....そんなまさかね」的な状況がただただ続くのだ。
人がアホみたいに死にまくってるんだからもっと何とかせんかい!とイライラはピークに達する。四巻の時点ではもうほぼほぼ全貌が見えているにも関わらず、何も話が進まないのはもはや変態的な焦らしプレイと言えよう。
最終巻では怒涛の展開が待っているわけだが、ここまでで2000ページ越え。「ラストがつまらなかったらただじゃおかねぇ!!」という思いはチャージ完了だろう。
終わらないオーガズム(五巻)
これまでのすべては「怒涛の」という言葉すら生温い、凄絶なラストのために捧げられた伏線、あるいは小野主上による悪質な焦らしプレイだったのだ。
全面戦争開始後の脳内麻薬の炸裂はほかのどんな小説でも味わえないほど超強烈なものである。例えるならば、有名な漫画『カイジ』にあった我を忘れてすべてを注ぎ込むようなイメージだろうか。
下品な表現で大変恐縮だが、我ながらかなり的を得ていると思うので書くと、『屍鬼』の終盤は終わらないオーガズムのようなものである。屍鬼を読んだことがある人なら何となく分かっていただけることだろう。ありがたいことにこの快楽は並みの小説1冊分(約300ページ)も続くのだからたまらないのだ。猛烈なクライマックスが小説1冊分ですよ。長大な物語を読み進めてきた苦労はすべて報われるだろう。
記憶に強く残り続ける
本当に素晴らしい小説というものは読んでから時間が経過しても記憶の中で大きな存在感を持ち続け、人生に大きな影響を与えるものだが私にとって『屍鬼』はそんな作品である。世の中にはエンタメに特化しためちゃくちゃ面白い本が大量にあるものだが、そのような作品はサクッと楽しめる反面、読後にあまり印象が残らないことが多いのだ。記憶に深く刻まれるような作品をお求めならぜひ『屍鬼』を読んでいただきたい。
ちなみにアニメも強烈。大ボリュームの小説に躊躇される方はアニメでサラッと見てしまうのもありかもしれない。作画がかなり個性的で人を選びそうだが、小説と異なる部分も多く、しかも原作を超えるくらいの悲惨な鬱展開が続くので、見たことを後悔するほど仰天することになるだろう。